酔いどれ放言アーカイブ

鑑賞したものの感想を書きます。S〜Dの五段階で好き度を評価。鑑賞のおともに付け合せの食事を提案します。

TOTO『Toto Ⅳ』:A

鑑賞のきっかけ:西寺郷太の記事を見て

 

とにかくジェフ・ポーカロのドラムが聴きたくなって。

ポーカロのドラムは穏やかな波に乗るサーファー……いや、サーファーというよりはヨットなのだ。石原慎太郎の『太陽の季節』が思い浮かぶ。あるいは、田中康夫の『なんとなく、クリスタル』。スクエアではないビート。だが、真っ赤に燃えるソウルでもない。ポーカロのビートは湘南の海にたゆたい、ほんの少しの青春の香りを推進力にしてひたすら横に横に進んでいく。

だからポーカロ(的なもの)がヨットロックと言われるのは、蔑称であれなんであれ、よくわかる。このいかなる意味でも鈍重ではないビート。ふと青と白のセーラー帽が風に飛ばされる、水兵はかつて自分の頭に収まっていたなにかを太陽に透かして見る、ポーカロはその瞬間を叩いているのだ。

M1「Rosanna」はバーナード・パーディの「Home at Last」でのプレイを参考にしたらしい(スティーリー・ダン『Aja』)。ドラムを叩かないので詳しいことはわからないが、スネアのゴーストノートを入れるシャッフルである。『Gaucho』の「Babylon Sisters」でも同じビートが使われている。そう考えると、やはりスティーリー・ダンはすごかったのだ。いまで言うとプロデューサー兼プレイヤーみたいな感じか。しかしポーカロが叩くとパーディほどはソウルフルでない。その代わり、ある種の匿名感というか、それは透明感でもあるのだが、いずれにせよソリッドな軽薄さが与えられるのである。

M9「Waiting for Your Love」はディスコナンバーという趣き。踊れる一曲。鍵盤のコードの上昇型のリフレインがアガる。ミュートっぽいギターもよい。

TOTOはギター主体の曲とよりソウルファンクっぽい曲が併存していておもしろいとおもう。当然僕はギター主体ではないほうが好きだが。

 

おつまみにいかが:アメリカンブレックファースト。リゾートのホテルで。

 

岸善幸『正欲』:C

鑑賞のきっかけ:友人たちとの映画会で

 

実は原作も読んだことがある。朝井リョウの。そっちを読んだ時とまったく同じことを思った。こういう言い方はひじょうに悪いのだが、まず水にエロティシズムを感じるということにいっさいのリアリティを持てなかった。もちろんそういうセクシュアリティ(!)の人もいるのだろうが、この映画からはそれについての説得力がほとんど感じられない。

あと、こういうとにかくマイノリティのなかのマイノリティみたいな形象を持ち出してきてマジョリティと同時にたとえば同性愛のようなマイノリティのなかのマジョリティを一緒に叩く、みたいなムーヴがあるのだが、これは反動以外の何者(!)でもない。

そもそも、こうやってなんでもかんでもセクシュアリティを細分化していく身振りというのはまさにフーコーが『性の歴史』で描き出したような西洋近代社会に顕著な「生産的権力」の特徴である。権力は抑圧するのではない。権力は生産し、扇動し、増殖させる。権力の要請によって作られたセクシュアリティという概念をマイノリティがありがたがって使う、むしろ単純なエンパワメントのために使うというのは、たしかに当事者にとっては救いかもしれないが、それに伴う危険も大きい。

途中で「水セクシュアリティ」の登場人物が「LGBTQに疎外感を感じている」ことを匂わすような描写があった。たとえばそれが性的指向性的嗜好の半ば恣意的な弁別によって非運動化されたペドフィリアやズーフィリアであるならば、それが正しいかはともかく「説得力」はあったはずだ。

だが、リアリティの感じられない水セクシュアリティにそれを言われてしまっては、ゲイ当事者の僕としてはそれを反動として解釈するほかない。

まあ、というのはすでに様々な批評家が指摘している事だと思うのでよいのだが、単純にぼくはこの映画を見てイラッとした。小説を読んだ時もそうだったので、映画がダメということではないかもしれないが。

 

おつまみにいかが:冷や水

ウイスキー「カリラ12年」:B

鑑賞のきっかけ:友人の一番好きなウイスキーということで。

 

その友人によるとカリラ12年はピート系の、つまりスモーキー系の王道だそうで、これよりもつよいのだとアードベッグ、マイルドなものだとボウモアになるらしい。

ちなみに僕はスモーキー系のウイスキーはそこまで好きではない。だが、味のマッピング的に勉強になる。飲んでよかった。

ついでにもっと言うと、僕はそこまでウイスキーが好きな方ではない。バニラ香のするバーボンは比較的好きだが、ひとりで飲む時に飲むかというとわからない。

ウイスキーとジンはそこまででもなく、ラムとシェリー酒は好きである。ワインはそこまで。ビールは好き。日本酒はおでんと合わせるなら好き。

じゃあなぜウイスキーを飲むのか。友人の影響である。ウイスキーというとダンディな趣味というイメージがあるのだが、その友人はまったくダンディではない。ので、安心してウイスキーをたのしめる。

ウイスキー自体は好みでなくても、ウイスキーの種類をいろいろ試して味をマッピングすることは楽しい。味覚の使い方は「おいしさ」だけには限られない。味をただただ弁別することもまた、味覚の使用法であり、味覚のたのしみかたである。

 

おつまみにいかが:効きすぎなほど胡椒の効いたナッツ。しょっぱいとなおよい。

NEXZ「Ride the Vibe」:A

鑑賞のきっかけ:虹プロ2を見て好きになったので。

 

クオリティが高い。いわゆるイージーリスニングというか、フューチャーベースというか、ジャージークラブというか、このあたりはなんやかんやで僕の好きなジャンルなのでハマった。

しかし曲はどうでもよくて、なんというか、韓国事務所のアイドルは基本的にダンスをとっても曲をとってもものすごくクオリティが高いし、トレンド感もしっかり押えているのだが、どこか「殺伐」感がある。

どちらかというと僕は殺伐としていた方が好きなのでいいのだが、それに比べて日本のある種ガラパゴス的雰囲気というのはなんなのだろうと考えてしまう。このゆりかご感というか、軽薄感というか。韓国アイドルの(特にデビュー直後の)殺伐感をみていると、なぜか日本のアイドルに安心感を覚える自分がいる。

まあ、NEXZは基本的には日本ルーツのメンバーで構成されている(ソゴンはご両親が韓国の方らしい)ので、なんともいえないが。

間違いなく言えるのは、これだけ多くの視線に一気にさらされるアイドルのストレスは尋常ではないということだ。それを思って、どうしても安心して見れない。

 

おつまみにいかが:青い着色料つきのサイダー。

嵐「Turning up」:B

評価:B

 

観賞のきっかけ:カラオケで歌ったらあんがい良かったので

 

嵐のデビュー20周年記念シングル?

なんというか、解散前の総決算みたいな趣の曲。「Turning up with a J-POP」という歌詞がある。曲自体はけっこう海外っぽいダンスチューンだとおもうが。

嵐は母親がずっと好きで、僕も嵐を聴いて育った。いちばん聴いていたのは2009年頃だとおもう。車で流れていた。

たぶん興行的にはおもったより、という感じだったんじゃないだろうか。この曲は松潤がグローバル進出したいという夢を実現した、みたいな感じだったと記憶している。そういうコンセプト。

それがなんというか、やっぱりローカルっぽくなってしまうのは、J-POPらしいというかなんというか。もちろん僕はそれが悪いとは思わない。嵐はそこから自由になろうとしたのかもしれないが、やはり彼らは平成的身体を背負い続けたのだとおもう。

嵐は平成と寝たのだ。

白状すると、僕は(いちおうエクスキューズのために「ゲイとして」と言っておく)嵐のメンバーに性的惹かれを抱いたことはあまりない。どちらかというと僕は韓国アイドルのほうに惹かれる。その意味では僕はすでに「令和的身体」に同期してしまっているのかもしれない。

だが、嵐はほんとうに平成的身体だったのだろうか?たしかに初期のメンバーはマイルドなギャル男っぽかったが、けっきょく「キレイ系」に向かったことは疑いない。このキレイ系は果たして平成的と言えるのだろうか。それとも、ギャル男もキレイ系も包摂するのが平成だった、のだろうか。まだ未分化、であるがゆえに豊穣だった平成?

令和は確実にキレイ系でスタートした。ここからどうなるかはわからない。僕はどちらかというとキレイ系に惹かれる。だとすると、僕は嵐に惹かれていたのだろうか?母親の欲望をなぞるのが嫌で「嵐には惹かれたことがない」と言ったのだろうか?

王子様でもヤンキーでもなく、ただただキレイな身体。体制に順応も反抗もしない身体。この浮ついたキレイ系の身体は、ソーダフロートみたいにグローバリズムの大海原を漂いつづけるだろう。

 

おつまみにいかが:ガストの山盛りポテトフライ。もちろんマヨケチャといっしょに。平らな大皿に盛りつけられたポテトは、あのアメリカの乾いた平原に直結している。

スティーリー・ダン『Gaucho』:S

評価:S

 

観賞のきっかけ:毎日聴いている。

 

自分の立ち位置を明確にしておくためにもコメントしておきたいと思って。というか、このままだとS評価が一生つけられなさそうだったので、はやめにつけちゃう。前例は早めに作ったほうがいい。CとDはいつになるやら……

言わずと知れた、いや、多分言わないと知られていないだろうが、スティーリー・ダンである。その7作目のスタジオ・アルバム。いまではたぶん、「録音技術を開拓した人」みたいに言われることが多い。あとは、いわゆるAOR(アダルト・オリエンティッド・ロック)、つまり「ガキ臭いロック」を「洗練」させたロックとして知られている。平たく言えば、ジジイのためのロックである。

とはいえ、スティーリー・ダンみたいにジャズの文法や複雑な構成、サックスも含めたリッチな音像というのは、たとえばシティ・ポップに共通する特徴だと思うし、(とくにティーン層での)シティ・ポップリバイバルを見れば、かならずしもジジイのためだけの音楽だとは言えないとおもう。

それで、『Gaucho』(1980)である。知名度的には前作の『Aja』(1977)のほうが高いとおもう。じっさい『Aja』も僕にとってはSランクなのだが、常飲するなら断然『Gaucho』である。なぜか。

『Gaucho』はとにかくデジタルっぽい。じっさい、『Gaucho』ではエンジニアがドラムマシンもどきを自作してきて、それでドラムの音を切り貼りして曲作りをしている。要するに、いまのDTM的なにかのハシリなわけだ。たしかにスタジオミュージシャンによる録音という体裁ではあるものの、『Gaucho』は全体的に人間味がない。温かみがない。

で、温かみがないほうが聴きにくいじゃん!とひとは言いそうなものだが、そうじゃない。だって、こんだけデジタル時代に生きてるんだもの、デジタル音像が僕にとってはデフォルトなのだ。

それに対して『Aja』はスタジオミュージシャンによる超絶技巧アンサンブルである。生の人間が兜をあわせ合っているわけだ。なんというか、畏れ多い。畏れ多いのである。だって、バーナード・パーディとかスティーヴ・ガッドとか、マイケル・マクドナルドドゥービー・ブラザーズ)とかウェイン・ショーターウェザー・リポート)とか、ジェイ・グレイドン(エア・プレイ)とか……錚々たるメンツである。

なんというか、疲れてしまう。人間味がありすぎるのだ。いや、全曲すばらしいのだが、常飲する感じではない……

あと、そもそも『Aja』はM2とM3が長すぎる。両方7分超えである。ポップスで7分って、なかなかないのでは……?『Aja』も『Gaucho』もだいたい40分ぐらいにまとまっていて、かつ両方7曲なのだが、『Gaucho』のほうは7分超えは「Glamour Profession(M3)」だけで、ほかはだいたい5分である。『Aja』はとにかく表題曲「Aja」と「Deacon Blues」が長すぎて(二曲とも好きだが)、気圧されてしまう。

というわけで、いっけん冷徹でデジタルで機械的な『Gaucho』のほうが聴きやすかったりするのだ。

じゃあ『Gaucho』のなかだったらどの曲がいちばん好き?と聴かれたら、うーん、全部いいが、いまは表題曲「Gaucho(M4)」かなあ、とおもう。「Gaucho」はどうもキース・ジャレットの曲を「オマージュ」しているそうだが(一悶着あったようである)、僕自身キース・ジャレットがけっこう好きなこともあって(元ネタも含めて)、親近感がある。

あとは一昨年インドネシア旅行に友人と行ったとき、早朝にみんなより早起きしてバリ島で聴いた曲がこれである。なんというか、思い出に残っている。Gaucho自体は南米だろうが、僕にとってこの曲は東南アジア的イメージと抱合せなのだ。

とはいえ、聴きやすい曲ではない。まずドラムのリズムの刻みがカタすぎる。なんというかよちよち歩きというか、いや、芯はあるにはある。芯はあるんだがよちよちというか、勇ましい千鳥足というか、千鳥足で行進というか……むずかしい。とにかく、メロディライン自体は「スムース」なのかもしれないが、リズムがぜんぜん「スムース」じゃないのである。(ちなみにドラムはポーカロらしい)

あとはピアノがボーカルとユニゾンしてるところも、あんまりスティーリー・ダンっぽくないな、とおもう。僕の中ではスティーリー・ダンは「掛け合い」の音楽で、ボーカルがあり、ボーカルのあとにサックスとかギターとかがカウンターを投げ、それを受けてボーカルがさらに進行し、また間を埋めるように楽器が応答する、みたいな感じなのだ。これはたぶん、ボーカルのフェイゲンがあまり自分の声に自信がなさそうなのと、まわりの楽器隊が強すぎることによるものだろう。ボーカルのボケに楽器がツッコミを入れてる感じというか。

それに対して「Gaucho」はどちらかというとアンサンブル感がある。みんなでユニゾン。これも異色感というか、聴きにくさを助長する。

歌詞もよくわからない。よくわからないが、どうも「薬物に溺れてしまったウォルター・ベッカー(フェイゲンのパートナー)をレコード会社のプロデューサーが切り捨てろというのだが、フェイゲンはそれに同意せず、あくまでベッカーを守りつづける」みたいな歌詞らしい。まあ、よくわからなくていいとおもう。

ということで、M4がいちばん好きかなあとおもう。おもうのだが、全部よい。全部よいのだ。あまり人気なさそうなM5「Time out of Mind」もスティーリー・ダンにしてはアップテンポで聴きやすい。歯切れのよいポップスと言う感じで、間奏のアンサンブルも楽しそうでよい。フェイゲンの鼻にかかったダミ声(?)も、やっぱり癖になる。けっきょくこの声が好きなんだな。

スティーリー・ダンはクレジットを見ながら聴くととても勉強になる。あ、このキーボーディスト、マイケル・ジャクソンの曲でも弾いてるのか、とか、そういう発見がある。スティーリー・ダンをアホみたいに聴き込んでも彼らの音楽的強度が裏切らない、と思わせてくれるところがいいんだろうな。その都度発見がある。

 

おつまみにいかが:うーん、むずかしい。なにがいいんだろう。さけとばとかどうだろう。さけとばとアブサン。奇をてらいすぎか。しかし「ハッパ」ぽくもあるので、アブサンはいいかもしれない。それかまあ、無難にバニラっぽいバーボン。いやあ、でもそれは『Aja』のほうか。迷うな。……いいこと思いついた。家系ラーメンはどうだろう?とにかくしょっぱいの。カラメで。『Gaucho』は味覚で言うと、あきらかにしょっぱさだな。しょっぺえアルバムなんだわ。

 

KIRINJI『Steppin' Out』:A

評価:A

鑑賞のきっかけ:新譜でた直後に何回も聴いて、その後あまり聴いてなかったが久しぶりに聴きたくなって。

何回新生しているかわからないが、新生KIRINJIっぽい重低音。前々作の『Cherish』よりかは控えめだが、相変わらずダンスチューンっぽい。

M2が前田敦子が出ているドラマの主題歌で、ドラマを全部観てしまった。結構おもしろかった。ゲイ視点から見ると、ドラマに出てたゲイ役みたいなゲイはあんまりいないが。曲自体はアップテンポのダンスチューン。曲は短め。コーラスがいい。

M7は雲呑ガールに引き続いて新宿(今度は歌舞伎町)を描く。トー横。堀込高樹は最近こういう「おじさんが扱うと危険なとこ」を扱いがち。一番はトー横キッズ視点だが、二番はそれに入れ込むおじさん視点。単にトー横を描くだけでなく、トー横を描く自分を再帰的に俯瞰する感じ。批評性が高いとおもう。Aメロは陰気な感じだが、Bメロからサックスが入って一気にスティーリー・ダンっぽくなる。サビの高樹ボーカルとサックスとかの吹きものの掛け合いがまさにスティーリー・ダンっぽい。このかたーいリズムはGauchoっぽくさえある。二番で吹き物のパートを増やしていく構成もGood。

広義のAORではあると思うが、それを「おじさんのための音楽」ではなくて、「AOR的なものを俯瞰するおじさんのAOR」という感じに仕上げているのがよい。「あのころのアメリカはよかった」とか、たんなるシティポップ的80年代への軽薄な憧憬とか、そういうのとは違うところでAORしてるのがよい。

とはいえ、ぜんぶ軽薄(悪口では無い)であることは間違いない。だが、深みのある軽薄さなのだ。歴史の重みを感じさせるしょーもなさ。極限まで洗練されたしょーもなさ。

 

つまみにいかが:日高屋の中華そば大盛り。これこそ軽薄な深みの極み。KIRINJIは高級料理とかバーボンとかと合わせるべきではない。KIRINJIとバーボンではない。KIRINJIと日高屋だ。